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2012年5月15日火曜日

ほっとする食事 『アスパラガス』

ドイツのほっとする食べ物の一つに何と言っても春が旬のアスパラ。
ゆでてバターに絡めるシンプルな料理がとてもアスパラのジューシーさを醸しだし、
ついでに定番のウイーン風カツレツ『ヴィナーシュニッッツエル』とゆでたジャガイモがあるとこれで大満足!
4月下旬とはいえ朝夕はまだ肌寒く感じるドイツ中部、ハルツ地方の端っこにあるBad Gandersheimという町の外れの池の畔にあるホテルに滞在し、池の周りを散歩した後お目当てのアスパラを食す。

ついでに、この町は「ドイツという国はこの町から作られた!」(町の観光案内のパンフレットにはそう書いてあった)と言われるほど歴史的に重要な町のようだが、車で40分ほどのHannoverで開催された大きな展示会「ハノーバーメッセ」に車で通勤していただけで、ろくに町中を見てないのはちょっと残念。

それでも、何か観光らしいネタはないかと、通勤途中の小さな町で「マリエン城」というかわいいひっそりした城に立ち寄る。平日の夕暮れ時、人もいなくて、林の草むらをごそごそと小さなネズミがたくさん走り回っていた。

通勤途中にもう一つ気になってカメラのシャッターを切ったのが、高速道路アウトーバーンの道路標識。
工事区間は10数キロ続いていて、渋滞をのろのろ運転で進むが、こんな表情の看板が時々出てきたら。「しょうがないなア・・まあ、のんびり行くか」と思ってしまう。

11km地点・・・「そんなに続くのかよ!冗談じゃないぜ!」と怒りの顔。

6km地点・・・やれやれ、まだ続くのか。

3.5km地点・・・そんなに来たか、もう少しだな。


 そういえば、もっとほっとする食事の時間が今回のドイツ滞在時にあった。
帰国前夜のケルンで、若い頃ドイツに住んでいた時の学校の友人と、数えるとなんと28年ぶりに再会した。
冷たい雨の中、彼はフランクフルトから電車でケルンまで来てくれて、雨やどりで人がごった返すケルン駅の構内で再会の抱擁。
雨をしのぐために飛び込んだ中華料理屋で、料理の中身はもうどうでもいいという感じで、しばしほっとする歓談のひととき。

お互い年を取っては来たものの、当時18歳のやんちゃな彼の横顔を思い出すのに時間はかからなかった。
ちなみに彼マルコスとはこの28年間の間一度もコンタクトを取ったことが無く、現在は世界的規模の銀行の行員で、オフィスには日本人のスタッフもいて、たまたまfacebookで、その日本人スタッフに私の名前を告げて検索して私を捜し出したとのこと。
なんというか、私の名前が珍しいからできたことだろう。

鬼の居ぬ間の「鬼ヶ岳」(533m)

春が来ると20年来のおつきあいの花粉症がやってくるが、そんなものかまってられないと、足が山に向かって動き出す。
とはいえ、冬の間のお休み期間から一気に高い山には登れず、とりあえずいくつかの足慣らしをすることになる。
 まずは福井県越前市にある「鬼ヶ岳」4月15日のこと。
市民に愛され憩いの山だと言うことで、愛される鬼はいずこ!とぽかぽか陽気の中出かける。

 
 北陸道武生インターから武生の町を抜けて、大虫町という町に入ると目の前にそれらしい山が見えてくる。JAの倉庫の裏が登山者用駐車場になっているが、時刻は午前10時過ぎと言うこともあり、すでに回りの道にもとざんs地の車が多く停めてあった。

 駐車場の横に「ビオトープ どじょうの里」という看板があり、のぞき込むが、冬の間にどじょう池も雪の下になっていたのか、ちょっとあれた状態。

代わりにどじょうを狙ってきたようなヘビがお迎えしてくれた。

ショウジョウバカマが所々に咲く階段道を上るが、さすがに久しぶりとあって息が上がってくる。
道が急な岩場や崖になってきて、次々と鬼ヶ迫ってくる・・・・こともなく、
「小鬼」「大鬼」「白鬼」とそれぞれの展望台を一服場所に回りの景色が開けてきてきれいに望める。


看板には「夜な夜な里に出ては品物を盗み、女子供をさらっては食い荒らし・・・・」と
怖い鬼伝説が綴られていたが、山桜の咲く道はそんな雰囲気を全く感じさせない。
登ること1時間ちょっと、頂上に到着。
はりかに荒島岳や白山の姿も見える

しっかりした建物の小屋の中にはいろんな登山者の残した寄せ書きなどがあり、
「鬼ヶ岳5000回登山記念」などと言うプレートが見られ、関西の金剛山に登ったときの「1000回登頂記念」という掛札を思い出し、それほど市民に愛され、日常の散歩みたいに登られている山だと感じる。

のんびり昼食をとり日向ぼっこしていると、どこからか優しいメロディーが聞こえてきた。
おじさんが楽譜を前にハーモニカを吹いていて、その響きはもしかしたら雪景色の白山や荒島まで届いていきそうだった。